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『Mama, I Want to Sing』|ゴスペルミュージカル 

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『Mama, I Want to Sing: The Next Generation』

作:ヴァイ・ヒギンセン、ケン・ワィドロ
作曲:ウェスリー・ネイラー
出演:ヴァイ・ヒギンセン(ナレーター)、ノエル・ヒギンソン(ドリス・ウィンター)、ゴスペル・フォー・ティーンズ聖歌隊、他
日時:2013年12月18日(水)・19:00開演
場所:アミューズ・ミュージカル・シアター

<内容>

1960年代‐70年代にアメリカで活躍した実在の黒人歌手ドリス・トロイ(ウィンター)が、ニューヨーク・ハーレムの教会の聖歌隊からスター歌手になるまでの伝記的ミュージカル。 作者ヴァイ・ヒギンセンはドリス・ウィンターの妹(ケン・ワィドロはヴァイの夫)。公演30周年を記念してThe Next Generation(次世代)と銘打った今作は、1980年初演から続いているこの作品の「世代交代」という意味で、作者ヴァイの娘(=ドリス・ウィンターの姪)であるノエル・ヒギンソンがドリス・ウィンター役を務める。また、出演の「ゴスペル・フォー・ティーンズ聖歌隊」とは、ヴァイがニューヨーク・ハーレムの若者対象に無償で提供している「ゴスペル・フォー・ティーンズ」という音楽教育プログラムで学ぶ300人の中から選抜されたメンバーで構成している(パンフレット [3])。

<感想>

まず、作品の構成が興味深い。登場人物として、物語の外側にラジオのDJがおり、ブースに入ったそのDJが「次に~を見てみましょう」、「~をご覧に入れましょう」と導いて、時代時代のエピソードをミュージカルで見せるという形で、劇を進行させていく。ナレーターとドキュメンタリー映像で構成される、テレビのドキュメンタリー番組を見ているような感覚を覚える。DJ役をドリスの妹、ヴァイが務めているが、実の妹が作者となりナレーター役となり、「真の実話」を作っている(という自負がある)からこそミュージカルというフィクション(創作作品)でありながらこうした構成を取ることに説得力があるのだと思う。

ドリス・ウィンターの歌の原点は教会の聖歌隊(教会の合唱隊。礼拝で神・キリストを讃える聖歌を歌う、あるいは参列者全員で歌う時にリードする。)にあるという。その原点を作者のヴァイは―恐らくドリス自身も―大事にし、この作品のシーンの多くを教会においている。DJのセリフによれば、ドリスだけでなく、ホイットニー・ヒューストンなど、他の多くの黒人スター歌手たちも、子供の頃に教会の聖歌隊に入っていたという。

このミュージカルの音楽は「ゴスペル」というジャンルに入るらしい。今公演のパンフレットは、“ゴスペルとはもともと黒人が神に捧げるために歌った教会音楽がルーツ。讃美歌と共に祈り、想いを込めて熱狂的に盛り上げて歌う文化は日本にはなかったもの” と説明し、この『Mama, I Want to Sing』が “[80年代後半の日本での]ゴスペルブームの火付け役ともなった” としている([12])。また80年代にニューヨークでこのミュージカルを観たという三宅祐司さんは、『Mama, I Want to Sing』を “ゴスペルミュージカル”と呼び、そのゴスペル音楽について、“オープニングから取り肌の連続だった。白人の美しい声のミュージカルに比べ黒人のミュージカルにおけるその声は、そのままストレートにハートに来る。” と感想を述べている([2])。

音楽に詳しくない私は現代における「ゴスペル(音楽)」の定義がよく分からず、R&Bなど他の黒人音楽とどう違うのか分からないのだが、ゴスペルの本来の意味は、語源が god spel (=神の言葉)であることでも分かるように(The Oxford English Dictionary)、第一義に “キリストの教え” で、もともとのゴスペル・ミュージックとは “アメリカの黒人が歌う、熱狂的な歌い方のキリスト教宗教歌のスタイル。南部バプティスト教会やペンテコスタル教会で歌われた、スピリチュアル[と呼ばれる、奴隷制時代が起源とされる黒人の宗教歌]から発展したもの” である(The Oxford Dictionary of English 拙訳)。

このようにゴスペルの本義を踏まえ、黒人とキリスト教との歴史的背景を考えると、 このミュージカルのタイトルであり、メインの曲の「サビ」で歌われる、“Mama, I Want to Sing” という歌詞に、ドリス・ウィンター個人を越えた切なる願いが浮かび上がる。

ドリスが歌手を目指したのは、アメリカで黒人が公民権を認められる前のことである。そのおよそ100年前に奴隷制が廃止され、黒人は白人の所有物・財産から一個の自由な人間となった。しかしそれは、黒人が白人と同じ市民・国民としての権利を認められたという意味ではなかった。黒人の白人専用公衆トイレの使用禁止、白人専用レストランへの出入り禁止、大学入学の禁止、黒人と白人との異人種間の婚姻の禁止などの法律が次々と作られた。黒人は市民・国民とは認められず、黒人に対する差別は当然の合法として社会制度の中で行われていた。奴隷から解放されてもなお、黒人は見えない鎖で自由と権利を奪われていた。それがドリスが歌手を目指した時代のアメリカである。ちょうどドリスが下積み時代からスター歌手として知られたのと同時期の1964年に、黒人はようやく公民権を得た。

このアメリカの黒人たちの、奪われた自由と権利の獲得の歴史には、常にキリスト教の信仰があった。黒人たちは共に教会に集まり、神に苦しみからの解放と救いを祈った。キリスト教は、もともと、奴隷制時代、アフリカの母国で自分たちの宗教を持っていた黒人奴隷に白人奴隷所有者たちが「良き奴隷となるよう」教え込んだものである。アメリカの黒人たちがそのキリスト教の教えを心のよりどころにしたのは大きな皮肉である。と同時に、黒人が、アメリカ社会の中で、市民と見なされてこなかったにも関わらず、アメリカの制度・社会を成り立たせる重要な構成員として、奴隷制時代以来社会の中にしっかりと組み込まれてきたという複雑さを物語っている。

とは言え黒人たちは、「白人によるキリストの教え」をそのまま信仰したわけではない。奴隷制時代、黒人奴隷たちは、白人に都合の良い教えを説く白人の牧師を避け、すでに奴隷たちだけで集まり、自分たちのやり方で信仰を行うようになった。情熱的な踊りや歌、叫びを伴う祖国での宗教と、キリスト教とを融合した。従順を強調する白人の牧師に対し、黒人の牧師はモーゼ(イスラエル人を率いてエジプトを脱出したとされる預言者)と解放を説いた(Hine, Hine and Harrold 155)。そうした信仰を世代から世代へ受け継ぎ、進化させていく中で生まれたのが、情熱的に信仰を歌い上げるゴスペル・ミュージックである。

『Mama, I Want to Sing』は、歌手になることを反対する母親に対し、ドリスが「歌いたい、歌手になりたい」と歌う歌だが、上述の文脈で聴くと、ドリス・ウィンター個人の願いを越えた、大きな願いが後ろにあることに気づく。コーラス(主な登場人物/歌手のバックで歌う歌手たち)と共に “Mama, I Want to Sing” と何度も繰り返される叫びには、アメリカの黒人全体の、奪われた自由と権利を欲する切実な願いが聞こえてくる。

筋や歌詞から作者のそうした思いは十分に伝わってきた。しかし残念なことに、今公演の役者の演技・歌からはそれがあまり伝わってこなかった。

30年前、この作品を作ったヴァイとケン夫妻は上演に漕ぎつけるまで大変な苦労をしたそうだ。他に参考文献がないのでWikipediaを引用するが、Wikipediaの記述が正確であるならば、制作当時、“ゴスペルをベースとした作品に十分な観客は望めない” と、“ニューヨークの主たる興行主全てから上演を断られた” という。そのため、夫妻は “私財を投じて当時15年間閉鎖されていたイースト・ハーレムにある座席数632のヘクシャー劇場を借り” 自費で公演を行ったという。

結果はご覧の通りだ。公演は瞬く間に人気を博し、以来30年間多くの観客を魅了してきた。 が、今公演は初演から30年を迎え、彼ら自身が、Next Generation(次世代)と銘打ち、終演後のステージでもヴァイが、「『Mama, I Want to Sing』は世代交代を遂げました!」と言った通り、この30年の間に『Mama, I Want to Sing』は初演当時とは変わってしまったのだろうと思う。

今公演の主役を務めるノエルは、『Mama, I Want to Sing』の公演で成功を収めたヴァイとケンの娘であり、貧しさや苦労を知らずに裕福に育ったはずである。他の出演者と一緒にツアーをし、脚光を浴びながらそれに見合った収入も当然得ていると思われるコーラスの少年少女たち、「ゴスペル・フォー・ティーンズ聖歌隊」も、いわばハーレムの中での「勝ち組」である。そして何より作者のヴァイ自身、30年間で得た富と名誉の中で、自身がハーレムでの生活の中で持ってきた自由と権利への渇望が遠い過去のものになっているのではないか。

私がそう思ったのはある出来事があったためだ。始め私は、筋と歌詞の素晴らしさを理解しながら公演を観て感動できない自分がおかしいのではないかと疑った。私は常々、「本物は無条件に見た者を感動させる」と信じている。しかしパンフレットで三宅祐司さんが "白人の美しい声のミュージカルに比べ黒人のミュージカルにおけるその声は、そのままストレートにハートに来る" ([2])と比較していることもあり、ゴスペルミュージカルとは、私がこれまで観て来たミュージカルとは全く異なるもので、感動できないのは、ゴスペル音楽に慣れ親しんでいない私にこの作品への審美眼が備わっていないせいではないかと思った。しかしある出来事があり、私はやはり自分の感覚が正しいのだろうと思った。2時間の公演に対してわずか1-2分の出来事ではあったが、私に上述の『Mama, I Want to Sing』の変化を推測させるのに十分足りる出来事だった。

30年前、作者のヴァイとケン夫妻にも、出演する役者たちにも、「I Want to Sing」 (歌いたい)と言えるものが確かにあったはずだ。ドリス・トロイの成功物語や、ゴスペルという音楽の魅力だけでなく、彼ら作者・出演者の熱い想い、それこそが観客を惹きつけていたはずだ。三宅祐司さんが、27年前にニューヨークで舞台を見た時、言葉も分からないのに感動して涙が出た、とパンフレットに書いている(2)。言葉の分からない三宅さんを感動させたのは、彼らそれぞれの「歌いたい」熱い想いではないか。

『Mama, I Want to Sing』 は、多くの観客に受け入れられ、彼ら自身が言うように、「次世代」を迎えた。それはいいことではある。しかし一方で、アメリカ全体を見渡せば、黒人差別の問題、経済的・社会的格差という問題は未だ解決に程遠いはずだ。これからの『Mama, I Want to Sing』は、一体何を「歌いたい」のだろう。

<おまけ>

この日は「日本のゴスペルの母」と呼ばれているという亀渕友香さんと、音楽評論家の湯川れい子さんがいらっしゃっていた。お二人ともヴァイに呼ばれてステージに上がられキャストと共に歌ったのだが、ほんの数秒マイクに入った亀渕さんの歌声の力強さ、胸にまっすぐ響く迫力に驚いた。この日一番心に残ったかもしれない・・・。なんとも言えないが、やはり本物は無条件に見た者を感動させるということか。

亀渕友香さんがこの公演について翌日のブログでコメントしていらっしゃった:
MAMA I WANT TO SING|亀渕友香オフィシャルブログ 「発声力。」

湯川れい子さんもTwitterで(微妙に)触れている:
Twitter / yukawareiko: きゃ~っ、思いもかけず呼び上げられたステージ、歌っちゃいまし ...

引用文献:

  • “gospel.” The Oxford Dictionary of English. 電子辞書. [Oxford]: Oxford UP, 2003.
  • “gospel.” The Oxford English Dictionary Online. [Oxford]: Oxford UP. 6 Jan 2014.
  • Hine, Darlene Clark, William C. Hine, and Stanley Harrold. The African American Odyssey. Vol. 1: To 1877. 3rd ed. Upper Saddle River, NJ: Pearson Education, 2006.
  • “Mama, I Want to Sing! (musical).” Wikipedia: The Free Encyclopedia. N.p.: Wikimedia Foundation. 5 Jan 2014. <http://en.wikipedia.org/wiki/Mama,_I_Want_to_Sing!_(musical)>.
  • Singletary, Deborah, 本田裕一郎, 菱川裕之, 太田隆之 and 谷村紀明. Mama, I Want to Sing: The Next Generation. [Tokyo]: n.p., [c.2013]. N. pag. (公演パンフレット)

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