ケン・ヒル版『オペラ座の怪人』:その1.本当はおもしろかった『オペラ座の怪人』
遅くなったが、昨年末に観劇したケン・ヒル版『オペラ座の怪人』について書く。
<あらすじ>
19世紀末から20世紀初頭のパリ・オペラ座。次々と奇怪な事件が起きるオペラ座には幽霊がいると噂になっている。決して姿を現さない「幽霊」ファントムは、その崩れた醜い顔をマスクの下に隠し、誰も来ることのないオペラ座の地下の奥底の湖を住処としている。しかしある日端役を務めるクリスティーヌ・ダーエの歌声に恋をし、「音楽の天使」として彼女の前に姿を現す。ファントムはクリスティーヌに美声を授ける一方、邪魔者を殺し、人々を恐怖に陥れ、ついにクリスティーヌをオペラ座のプリマドンナに据えることに成功する。ファントムはクリスティーヌにこの見返りとして自分の愛を受け入れることを要求する。だがクリスティーヌは恋人ラウルとの愛を取り、ファントムの恋は実らずに終わる。
<感想:その1.本当はおもしろかった『オペラ座の怪人』>
感傷的でドラマチック、シリアスなウェバー版『オペラ座の怪人』が極めて現代的な作品であるのに対し、ケン・ヒル版は、古典的でユーモアにあふれた楽しく温かい作品である。
ウェバー版は、主な登場人物をファントム、クリスティン(ケン・ヒル版ではクリスティーヌ)、ラウルの三人に絞ることで、シンプルで感情移入のしやすいメロドラマに仕立てている。一方、ケン・ヒル版はその三人以外にもオペラ座の新支配人でラウルの父親リシャード、その秘書 レミー、座席主任のマダム・ジリー、バレリーナのジャム、謎のペルシャ人など、多くの登場人物が置かれ、それぞれが個性的に描かれている。そしてウェバー版の登場人物が皆「まじめ」であるのに対し、ケン・ヒル版の登場人物はどこかみんな「可笑しい」。
ウェバー版でクリスティンを勇ましく守るヒーロー、ラウルは、ケン・ヒル版ではかなり頼りなく、ヒーローとは程遠い。クリスティーヌを救う手だてを考えようと「考える人」のポーズをとってみるものの、元来考えることが苦手な彼はしばらくポーズを取るだけで終わり。リシャードは新支配人として皆からの尊敬を期待する一方、語彙に乏しいために、いつもしっかり者の秘書レミーに言葉をついでもらわなければ自分の考えをうまく表現することもままならない。ウェバー版で厳格なバレエ指導者であるマダム・ジリーは、ケン・ヒル版では厳格というよりは変わり者で癖のある女性。ポットとティーカップを持って現れ、何をするかと思えば「紅茶占い」をし始める。謎のペルシャ人が現れ登場人物の個性がますます濃くなっていく中、バレリーナのジャムはなぜか常にバレエ・ダンスをしていてマイペース。
こうした古典的な人物造形を「古臭い」と言う人もいるかもしれない。だがオペラ座が、彼ら個性的な「オペラ座の人々」の集う場所であるからこそ、ケン・ヒル版では舞台であるオペラ座自体、ひいては作品そのものが愛すべき魅力的な存在となっている。
そこに言葉遊びやユーモアが、さらに全体を古典的で牧歌的な楽しさで包む。 “見ろ!衣服にメモが縫いつけられている!” “何て書いてある?” に、 “シルク100%と書いてあります。” と答えるのはお約束(22 拙訳、以下同)。またリシャード、ラウル、ペルシャ人の三人が迷路のようなオペラ座の裏通路を通って怪人を追い、思いがけずボイラー室に出た際、 “おや、これは古いボイラーじゃないか。” というリシャードの第一声には、緊迫した場面であるはずにも関わらず思わず笑ってしまう。リシャードの目の前には照明係を探しに来ていたマダム・ジリーがいて、英語で「古いボイラー」は「魅力のない婆さん」という意味になってしまうからだ。そして後に続く二人に “大丈夫だ。マダム・ジリーだよ。” とリシャードが呼びかけると、ラウルが “マダム・ジリーだよ、ってどういうこと?最悪ってこと?” とだめ押しをする(83)。その変わり者で嫌われ者のマダム・ジリーは、後半、リシャードのちょっとした優しさに初々しくときめいてしまう。思いもよらないカップルの誕生に、客席全体に笑いと温かさが広がる。
また、舞台と客席との間に「対話」があるのも古典的である。今公演の会場は東京国際フォーラムホールCだったが、会場をオペラ座に見立て、支配人として新しく着任したリシャードが舞台から会場全体を見渡し、 “私はずっとパリ・オペラ座というのは、もっと、何と言うか…もっと[大きい]と思っていたんだが。” と感想を述べると、その「オペラ座」の客席にいる観客は苦笑せずにいられない。またリシャードと、彼にオペラ座を案内する係員が、 天井のシャンデリアについて、“このシャンデリアはなんだか取り付けがしっかりしていないように見えるが。 […] 落ちるなんてことはないだろうね?” “落ちる?我がオペラ座のシャンデリアが?…つまりそこの座席あたりに?” “うむ。恐らくその辺や ― あの辺や ― もしかしたらあの辺にまで届くかもしれない。” と杖で客席を指しながら会話をすると、指された位置に座っている観客は何とも言えない気持ちになる。そして秘書レミーが「でも安い[2階席・3階]席の人は無事ですね。」と言うと、観客はもう大笑いだ。 特に私が観劇した日には2階席に秋篠宮妃殿下、眞子内親王、佳子内親王がいらっしゃっていたので、 “cheap seats” を字幕で「安い2階席」と訳していたのは憎い演出だった(実際は2階席のほとんどはS席)(4)。
舞台と観客がもっとも「対話」する場面は、オペラの上演中に突然消えたクリスティーヌを探す場面だ。暗がりの中、「オペラ座の人々」が次々に客席に降りてきて、ランタンを手に「オペラ座」中を総出で探す。とは言えこうした演出は現代の劇場だからできることだ。役者と観客の距離が近く、「対話」が当たり前のように行われていた16世紀、17世紀の劇場と言えば屋外劇場だった。座席も今のように整備されていなかったから、このように役者が観客の間を探すような演出は実際は恐らくできなかったのではないかと思う。しかし観客を、本当にその場に居合わせた「オペラ座の観客」のような気分にさせるこのような演出は、舞台と観客との「対話」の伝統を大切にする作家の姿勢を感じさせる。そしてこうした「対話」は「見せる」ウェバー版の作品には見られない。メガ・ヒットのウェバー版が「ハリウッド映画的」とも言えるのに対し、ケン・ヒル版は、大らかで明るく魅力的な人物造形、劇全体にちりばめられた言葉遊びやユーモア、そして舞台と観客との「対話」が、シェイクスピアの喜劇を彷彿とさせる。
ウェバー版の大きな魅力の一つは、その美しい音楽にある。観劇後、劇場を後にする人々は自然とそのメロディーを口ずさんでしまう。一方ケン・ヒル版の音楽は、作品の舞台となっている19世紀末から20世紀初頭に実際に上演されていたオペラの曲を採用し、それにケン・ヒルが詞を付けている。グノー、ヴェルディ、モーツァルトなどの曲が、その時代のオペラ座の雰囲気を舞台に与える。が、ウェーバー版と違って観劇後にその音楽を口ずさむ人はあまりいそうにない。それについてケン・ヒルは、1991年のスポーケン・クロニクル紙(アメリカ・ワシントン州の地方紙)の取材の中でこう述べている:
私は敢えて、良く知られているような曲は選ばないようにした。[…] ストーリーよりも [曲の方に] 気を取られてしまうようにはしたくなかったんだ。 [私の作品の] 曲はオペラ好きには分かるかもしれないが、ほとんどの人にとってはあまり耳馴染みのない曲だ。
ウェバー版が、観劇後、その美しい音楽が耳に残る作品だとすれば、ケン・ヒル版は、楽しさと温かさが心に残る作品であった。
(続く)
<引用文献>
- Hill, Ken. The Phantom of the Opera: A Musical Play. London: Samuel French, 1994.
- Kershner, Jim. “There’s more than one ‘Phantom’.” Rev. of The Phantom of the Opera, by Ken Hill. Spokane Chronicle [Spokane, Washington] 18 Jan.1991: 4. 31 Jan. 2014 <http://news.google.com/newspapers?id=qFlYAAAAIBAJ&sjid=BvoDAAAAIBAJ&pg=5836%2C2614148>.
<書籍・DVD>
ケン・ヒル版ミュージカル『オペラ座の怪人』 原文本
(訳本やDVDはない。CDも来日公演のたびにグッズとして限定販売されるのみ。)
アンドリュー・ロイド・ウェバー版ミュージカル『オペラ座の怪人』
・25周年記念ロンドン公演DVD(日本語字幕付き)
・『完全版「オペラ座の怪人」25周年記念版』(洋書)最新版の台詞と歌詞全てを含む原文と、作品の背景、解説、写真などを掲載。
原作となった小説:ガストン・ルルー『オペラ座の怪人』平岡敦訳(2013新訳)・長島良三訳
※2018年4月15日 8月に再来日公演が行われるのを機会に記事を少々改定した(内容は変更していない)。